2007年01月24日

今日の学び-43

許すと言うこと


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 「人を許す」ということを知らない人は、けっして幸福な人生を送ることはできない。それなのに、「許すこと」を知らないで不幸な人生を送っている人がごまんといるのを、わたしは実際にこの目で見ている。
 私は長いこと、実にたくさんの人と仕事をしてきた。そこから私が学んだことは、人を許すことのできない人は、結局、自分自身を「人生の檻」に閉じこめてしまっているということなのである。人を許すには、まず許すことを学び、そして実践することが肝心だ。
 小さな枠組みの中で生きている限り、積極的な素晴らしい人生は送れない。「自分を変えていくこと」と、豊かな素晴らしい人生とは、切っても切れない密接な関係にある。だから、生き生きとした人生を送るためには、私たちは小さな枠組みに縛られないで、自然の大きな力にゆったりと身を任せる方法を学ぶ必要がある。
 だが、人を許すということが、どんなことかわかっていなければ、たとえほかのあらゆるものの本質がわかったとしても、私たちはいぜんとして「人生の檻」から自分自身を解放することはできない。
 人を心から許せるようになるためには、あなたがこの本で読んだことすべてを理解して、日々の生活に実際に生かしていかなければならない。生き生きとした素晴らしい人生をほんとうに送りたいのならば、人を許せるようにならなければならないのである。
 私は前書きで父の墓を訪ねたことを書いた。あのエピソードは許しの物語だ。実際あれがきっかけになって、私は豊かな愛に満ちた新しい生きかたを始めるようになった。
 私はあのときほど、すべてのものごとに縛られずに、愛にに満ちた行動をしたと思ったことはない。長い間ずっと抱いていた憎しみと憤りを捨てたとたん、まったく新しい生きかたと考えかたを受け入れる心のゆとりが私に生まれたのだ。人を非難したり憎んだりすることのないものの見方を身につけたとたん、わたしの人生は大きく変わったのである。
 もし、あなたが崇高な意識を抱いて人生の大道を歩みたいと思うなら、人を許そうとする気持ちがあるかどうか、じっくり自分自身を見極める必要がある。たいていの人は許すことがあまりうまくない。それは、私たちがどうしても人を非難したり憎んだりすることにとらわれがちだからである。人生でうまくいかないことがあると、ついつい人のせいにしたくなるものだ。
 わたしが「人を許す」という場合、「100パーセント許す」と言うことである。そうゆうふうに人を許すと、人生はまったく別のものになる。人を許して始めて、あなたは宇宙のしくみがほんとうに理解できるようになるのだ。
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2007年01月23日

今日の学び−42

人生には「めぐり合わせの花束」が限りなくある


ウエイン・Wダイアーの著書のなかの言葉

 私はどんなことをしているときでも、みんなが仲良く暮らしていける方法を探し求めている。1分間に2500万ドルを武器の出費にあて、1分間に40人の子供を餓死させる世界が、肌のいろ、宗教の違いばかりに目を向ける分析的世界であることを私は知っている。けれども、どんな肌の色、宗教、国籍の人であろうと、他の人間に会うたびに人間としての共通点が私には見えるのだ。
 腹がすいたり、子供をかわいがったり、食事をしたり、考えたりすることは人間に共通している。私たちが、分析的なものの見かたばかりでなく、もっと統合的なものの見かたをすれば、バラバラな世界さえひとつにしていくことが可能になるだろう。
 外を見ると数え切れないほどたくさんの花が咲いている。神はまったく無理な力を使わずに、そういうことをしているということを忘れてはいけない。
 花といえば、私は最近こんな話を耳にした。
 ニュージャージー州に住むある夫婦は大きな温室を持っており、いつも温室を花でいっぱいにしていた。温室ではめったに育たないキンセンカも花を咲かせていた。
 雪の多い一月のある夕方、夫婦は以前住んでいた近くの町に、アマチュア・オーケストラの練習に出かけた。リハーサルのときにプレゼンとしようと、大きなキンセンカの花を持っていくことにした。ふたりはオレンジ、黄色、赤といった明るい色の花がきっと寒い夜を暖めてくれるだろうと思ったからである。
 町にはいると、夫は川沿いの裏道に車を乗り入れた。雪はまだ降り続いていた。小柄な老婦人がたったひとり歩いているほかは、そのあたりに人気はなかった。夫婦はその老婦人が以前となりに住んでいた人の母親だと気づいたので、車を止めて、「車に乗っていきませんか」と声をかけた。老婦人はちょっととまどったようすだったが、結局、行き先を言って車で送ってもらった。彼女が車から降りるとき、夫婦は花束をプレゼンとした。
 三日後、その夫婦は老婦人から手紙を受け取った。手紙には車に乗せてもらったことと花束へのお礼がしたためてあり、ふたりのしてくれたことが、どんな意味を持っていたかがかかれてあった。
 手紙の老婦人はずっと病院の看護婦をして働いていた。けれども、あの日、もう年だし、体も弱くなったので仕事を辞めようと観念した。家族の厄介者になりたくなかったから、もし「もっと生きつづけなさい」というしるしを神様が見せてくれなかったら、彼女は川に身を投げて死のうと決心していたのだ。
 文字どおり、あの花束が彼女の命を救ったのである。
 このできごとには、どれほどたくさんの「めぐりあわせ」が重なったことだろう。もし夫婦が、リハーサルに花束を持っていこうとしなかったら、夫が川沿いの裏道に車を乗り入れなかったら、老婦人が通りがかったとき、ふたりが川にさしかからなかったら、もし老婦人が、花束を神からのしるしだと受け取らなかったら・・・・。
 きっと彼女はそれからの7年間の寿命を失い、家族は彼女を世話する幸せを奪われていたことだろう。
 どんなものごとも、どんな人間も、互いに関連を持っていて、信じれば必ず見えてくるのである。
 
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2007年01月22日

今日の学びー41

したいと思うことに集中すれば、すべてのことは達成できる


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 さまざまなものごとの関連が目に見えないからといって、ものごとの結びつきを否定してはいけない。日常生活で、目には見えないけれど数多くの関連を利用していることを、私は実例をあげて示してきた。心の動きがお互いに関連があるように、心の動きは、からだともかかわりを持っている。この宇宙では、ありとあらゆるものがエネルギーだ。それがわかったとたん、あなたはどんな人間も互いに関連を持っていることがわかるのだ。
 ものごとの本質を見とおす力を身につけると、あらゆるものごとを関連させ、ハプニングを生みだすことができるようになる。あなたは考える力をつかって自分を癒したり、人間関係をかためたり、穏やかで協調的な気持ちになれるのだ。
 自分の気持ちをしたいと思うことに集中させれば、すべてのことは達成できるのだ。考えることによって、そして考えることによってのみ、あなたはこれまで理解できなかった奇跡を起こすことができるのである。





分析ではなく統合で考える


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 「分析」することは知的な暴力行為だ。分析とは心の動きをバラバラにし、宇宙を切り刻むものとなるのだ。あるものを壊して個々の部分をもっと詳しく調べなければならないのなら、頭のなかですべてのものがバラバラになるようすを思い描いてみるとよい。
 ものごとを切り刻んでいくと全体が見えなくなり、ものごとを壊すことばかりに気持ちが集中する。自分自身を、自分自身の人間関係を、そして人生のさまざまな行動を切り刻み、その断片のひとつひとつにかくされた意味を見つけようとする。こうすることで、あなたは精神的にひどく自分をいためつけているのである。
 それにひきかえ「統合」は「分析」の逆だ。知的にものごとを破壊せずにあらゆるものに協調していくことなのだ。統合とはすべてをいっしょにすること、つまり全体のなかで個がどのように適合するかを見ることなのだ。あなたは自分の行動と人の行動とを、宇宙全体との関連で見ることができる。
 西洋文化においては、自分たちを人格、感情、思考、肉体などのさまざまな部分に分解することが、すっかり習性になった。このような分析的な考えかたをすると、人をかえりみないで、自己中心的になり、全体像を把握できなくなる。
 そうしないためには、私たちが協調的な考えかたを選び、すべてのものを関連させる必要がある。そうすれば、あらゆるものが私たちだけに作用を及ぼしているというような考えかたをしなくなる。かえって私たちは人の役に立ちたいという視野を持つことができるのだ。
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2007年01月21日

今日の学びー40

自己改革のチェック


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 自己改革の三段階を思い出して、今、あなたがどの段階にいるかをチェックしなさい。もし第一段階にいて、今苦しんでいることから、教訓を学びとるのに時間をかけないといけないのだったら、その問題から逃げたりしないで、あなたが直面しているものごとからプラスになるものを拾い集めるようにしなさい。
 つまり、怒りや欲求不満を爆発させないで、別の態度をとれという意味である。たとえば、「よろしい。どうしてこうなったのかはよくわからないが、この窮地を生み出したのは結局はわたしなのだ。さて、私はこの窮地から何を学びとれるか」というように。
 このような練習を積むと、悪い点ばかりに目を向けないで、自分の目標に立ち返ることができるのである。もしあなたが第二段階にいて、苦しみながらもそこから教訓を学ぼうとしているなら、ものごと全体のイメージを頭に描いて、結果を想像してみなさい。そうすれば、何もわざわざ苦しい思いをする必要はないのだ。
 あなたが第三段階に達していて、苦しい思いを体験しないで考えるだけで学びとれるなら、あなたの周囲の人がそうなるように一生懸命手助けしてやること。自分の幸せを人と分かちあうこと。そうしれば、自己改革をした人がどんなに素晴らしい人生を送れるか、人に見せることができるのである。
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2007年01月20日

今日の学びー39

ただ宇宙の流れにゆったりと身をまかせる


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 偶然の事故などというものは存在しない。原始構成要素の極小粒子ですら、事故を起こさないように動いている。だから、あなたも事故は起こらないのだと分かってさえいれば、あなたは自分の人生をほんとうに変えることができるのだ。
 試してみなさい!二、三ヶ月でも実験的にやってみるとよい。たとえあなたの生活にちょっとした変化があらわれるだけであったとしても、ものごとすべてには関連があるのだということを信じてみることだ。そうすれば、あなたはきっと日々の生活のなかでさまざまな結びつきを経験することができる。
 くよくよするのはやめること。どんなものごとも、どんな人間も、互いに関連を持っているこの完璧な宇宙で、あなたは何も心配することはないのだ。あなたが自力でコントロールできないことについてくよくよしても無駄だし、自分でコントロールできることを心配するのも馬鹿げている。
 「何も心配することはない。すべてはあなたのために整えられているのだ。だから、誰とも戦わずに、ただ宇宙の流れにゆったりと身をまかせなさい」宇宙の完璧なリズムを経験するために心を静めなさい。あなたが心のなかへと向かい、心を平和にたもち、宇宙はひとつだと黙想し、そう感じていると、あなたは宇宙のエネルギーと間もなく限りないかかわりを持つようになる。
 練習を積んで無心の境地に至れば、あなたは宇宙が完璧だと悟るだろう。
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2007年01月19日

今日の学び−38

逆境から学ぶ


ウエイン・Wダイアーの著書のなかの言葉

 人生のドラマから、逃げだす必要はないのだと自分に言いきかせなさい。あなたには選択権も、自由な意思もあるのだ。完全な宇宙のなかで、自由意思を持っていると知ったとたん、あなたは人生の大半をストレスずけにしないで生きていく考え方ができるのだ。
 ものごとはすべて予定どおりに起こるもので、偶然などというものはないのだ。私たちは予定された場所にいて、予定されたことを行っているだけだ。このことがわかっていればストレスを大幅に減らすことができるし、あまり人を批判しないですむ。
 自分の心のなかに入っていくようにしなさい。そして、完全な生きた絵巻物の一部分になることがどんなに素晴らしいことか,想像してみなさい。みんなの前でくりひろげられる壮麗な絵巻物を見るような気持ちで、さまざまなできごとを眺めるとよい。あとになってからあれこれと批判するのはやめることだ。
 壮大なドラマのなかでの自分の役割に責任を持ちなさい。何か事故のあったときでも、悪いときに悪いところで起こったものだと考えてはいけない。事故はあなたに教訓を与えるし、事故はあなたが自分で起こしたのだと考えなさい。
 事故の裏に秘められている教訓を吸収しさえすれば、あなたはこれから先、ひどい事故にずっと出会い続ける必要はない。「逆境」から学ぶ気があるのなら、「逆境」をわざわざくりかえす必要はないのだ。
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2007年01月18日

今日の学び−37

私たちは精神的存在である


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 ここにグレープフルーツほどの大きさのふたつきの容器があるとする。もし私が、「ギューッとふたを閉めたら、どれほどの量の考えを、この容器に詰めることができるだろうか?」とたずねたら、あなたはきっと答えるだろう。「考えを容器に詰めることなんかできませんよ、考えはものではないのですから。かたちのないものを容器に詰めるなんて、できない相談です」と。
 では「記憶とはなんだろう」と自分に問かけてみるとよい。記憶とは、結局、ひとつのアイデア、考えだという結論に落ち着くだろう。それでは、それをあとになって思い出すために、どこにしまえばよいのだろう。記憶は脳に蓄えるのだと本気で考えている人が多い。けれども、脳はグレープフルーツほどの容器にすぎない。
 脳とはかたち、つまり物質である。かたちを持たない考えを、脳という物質に蓄えることができるのだろうか。もちろんそんなことはできないに決まっている。もし記憶を脳に蓄えることができないのなら、記憶とはいったいなんだろう。記憶はいったいどこにあるのだろう。このことについて考えてみることにしよう。
 かたちあるものを蓄えることはできる。ところが、かたちのない考えはスペースをとらない。考えはかたちがなく無限である。だから物質的な立場から考えを理解することはできないのだ。私たちすべてが精神的な存在なのだということを心の底から理解するには、物質を超越した別の次元に入らなければならない。
 以心伝心によって、理屈では説明のつかない不思議なハプニングが起こっている。もし、考えることと現実の出来事に目に見えない結びつきがあるのなら、考えと考えの間にも結びつきがあるはずだ。ある考えと別の考えが実際に出会ったら、そしてその考えを実際に生み出したら、「信じれば見えてくる」という状況をつくりだすことができそうだ。
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2007年01月17日

今日の学び−36

「宇宙を動かすエネルギー」を自分の中にとりいれる


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 およそ普段しないような行動をして、後になって、なぜそんな行動をしたか理由がはっきりするという、不思議な経験をした覚えがあなたにもあるだろう。そのようなことを、わたしたちはどうやって人に説明するのだろうか。「心の動き」が、どうして突然自分と関連がないような人々やものごとを結びつけることができるのだろう。
 この結びつきというのは、どんなものごとも、どんな人間関係も、互いに関連を持っていることを理解するうえで、とても重要な言葉である。どのようなしくみでものごとが関連しあっているのかわからなくても、すべては説明できない神秘的な糸で結びついているのである。
 不思議なことだが、困ったことが起こりそうになると、タイミング良く誰かが助けてくれたり、事態が好転したりするものだ。
 ものごとはすべてが結びついているのだとわかったら、たとえ結びついているものの正体が分からなくても、宇宙のすべての営みが、互いに関連していることを信じるようになるだろう。そして「信じれば見えてくる」という考え方が、私たちに実際に役立つようになるのだ。
 世の中は不完全だと信じている人がたくさんいる。だからこそ、よけいに私は、完全ということにこだわるのだ。この世の中は絶対に完全だと、私はかたく信じている。その証拠に、地球を暖め、その温度を保つのに最適なエネルギーが、太陽から送られているではないか。地球は地軸からはずれたりしないで、完全に自転しているではないか。どういう名称でもかまわないのだが、私は神と呼んでいる「全知全能の存在」が、宇宙全体を支えていると信じている。
 神秘的な現象を見ると、世界は完全だということが、私たちにもわかってくる。たとえば、鮭は川をさかのぼって生まれた場所に戻ってくる。ツバメは何世紀もの間、ずっと同じ日に姿を現す。クモは巣の作り方を学校で習うわけでもないのに、ちゃんと巣を張る方法を知っているではないか。
 宇宙全体が完全なハーモニーを奏でるために、神は形あるすべてのものに、本能を備えた。それなにのに、残念ながら、私たちはそういう宇宙の営みを、ほとんど知らないのである。
 このことがどのように結びついているかというプロセスが少しでもわかると、あらゆるものが互いに関連しているというメカニズムが、あなたにも少しはわかるようになる。すると、すべての生き物を完全に支えている「全知全能の存在」が、ほんとうに存在していることを、あなたも信じるようになるのである。
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2007年01月16日

今日の学び−35

「エネルギー」は外に出すほど、自分に蓄積されていくもの


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 自分がわかちあっていたいと思うものを他人にプレゼントしなさい。相手の感謝をまったく期待しないでプレゼントしなさい。とにかく、どんなものでも何かをプレゼントしてみなさい。そうすれば、プレゼントを受けとった人は、あなたのプレゼントしたエネルギーで満たされると同時に、自分も何か他人に何か同じことがしたいと思うようになる。こうして目には見えないコミュニケーションが生まれ、その力はだんだん強力なものになっていくのである。
 他人を邪魔者だと考えないで「協力者」なのだと思いなさい。自分のためにとっておいた大切なものを人にあげなさい。権力にあまり執着せずに生きなさい。
 つまり、こういうことがこだわりのない生き方をするということなのだ。私たちの文化のなかで一番誤解されている生き方ではないだろうか。水をつかもうと手を握りしめれば握りしめるほど、水が逃げていくという経験をしたことがあるだろう。けれども、力を抜いて流れ落ちる水を手で自然に受けとめると、好きなだけ水を手にすることができる。執着を捨てなさい。超然とした態度をとっているかぎり、あなたは水を好きなだけ手に受けとめることができるのである。
posted by curl at 13:19| 心の問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月15日

今日に学びー34

人は「北風」よりも必ず「太陽」に心を開くもの


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 他人を傷つけない練習をするためだけに毎日時間をとりなさい。あなたの考えが反対であっても攻撃しないで、「話してください。それは私が考えもしなかった意見です」というようにしなさい。「自分の意見はいつも正しい」という考え方から抜け出すと、苦しみや敵意をやわらげることができるし、もっと穏やかな精神生活を生み出すことができるのだ。
 相手の意見に反対しようとしなければ、あなたはコミュニケーションの範囲を広げ、あなたに反対する人にイライラしなくてすむし、あなたの気持ちももっと安定するだろう。相手が間違っているのを立証したいがために、他人の話を激しくさえぎってあなたの意見を言うよりも、うちとけてあなたの感想や考えを相手に提案してみるだけでいいのだ。
posted by curl at 10:27| 心の問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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