2007年11月05日

シクラメンの花

 ベランダに置いたシクラメンの花を写しました

PB040087.JPG
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2007年02月02日

今日の学び−52(完)

すべてをゆだねて生きるということ


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 「すべてをゆだねて生きる」ということを述べて、この本を終わりにしたい。「すべてをゆだねて生きる」とは、他人や組織やある特定の思想にコントロールされるという意味ではない。私が「すべてをゆだねる」という場合、宇宙の大きな働きを信じ、素直に自分自身を、宇宙の営みにすべてをまかせるという意味である。
 すべてをゆだねて生きると、人を許すのが楽になる。私たちは皆同じ道を歩み、さまざまな人生のなかで、それぞれの役目を果たしているのがわかれば、人生のシナリオを演じている人に敵意を抱くことはできない。
 さらに、あらゆる人があなたの人生に、どこかで関わっていることに気づくだろう。知り合いから、ひどく迷惑を被ったり苦しめられたりしても、すべてをまかせて生きていると、その人からいろいろ勉強させてもらったと思うようになる。
 宇宙にすべてをまかせて生きてこそ、人が許せるのである。あなたがすべてを宇宙にゆだねて生きていれば、納得できないほど辛く苦しいことが、何故この世に起こるのかと疑問に思わなくなる。
 すべてをゆだねて生きることは、許すことよりも上の段階である。だから、「すべてをゆだねて生きる」ということは、この章だけの問題ではなく、この本全体に関わっている問題なのだ。
 すべてをゆだねて生きるという大変なことをやり抜くには、その影に宇宙への信頼感が欠かせない。完璧で美しい宇宙を信じるからこそ、あなたは宇宙にすべてをゆだねて生きることができるのだ。
 この本を書き進めるうちに、私はすべてをゆだねて生きる術を知った。本を書いている最中、精神的に緊張したり、あれこれ心配したり、本が完成しないのではないか不安になったりしないで、自然の成り行きにまかせた。この本は完成するのだと考え、そう信じて力の限りを尽くしたあとには、すべて成り行きにまかせた。
 本に必要な資料はどれもタイミング良く手に入った。ある章を書いているとき、私の講演を聞いた人が、「本の役に立つでしょう」というメッセージを添えて、テープを送ってくれた。テープは役に立った。またあるときは、「この本を読まなければいけませんよ」といって本を送ってくれる人がいた。その本は、届いたそのちょうど当日に必要な本だった。
 実は、何度もそんなことがあったのだ。引用したいところがあるとき、とてつもなく大きな机仁山積みになっている本やパンフレットに手を伸ばして,手に触れた本を一冊抜きだした。パラッとページを開くと、ちょうど引用したい箇所だった。 
 努力しないでこんなうまい目を見ることは、これまで一度だってなかった。私は宇宙にすべてをゆだねてこの本を書いた。何のトラブルも心配もなく、仕事は順調に進んだのである。
 だからといって、私は、計画を立てたり気配りをしたりする必要がないといっているわけではない。まったくその逆である。実際には、以前より周到に準備をし、気配りをしている。協調する気持ちを持っていれば、すべてうまくいくのだということがだんだんわかっていく過程を私は述べているだけだ。


最後に

 あなたは愛と心の安らぎを持って、人に与えればよい。生きているときに、すべてはなるようになるものだということを心得ていればよいのだ。すべてをゆだねて生きるということは、次のようなことだ。それは心で知ること。自分と調和している宇宙の営みを信頼したときに、あなたが感じる満足感。私たちは生まれながらに豊かに暮らす権利を持っていること、そして、自然体のほうがかえって豊かになることを知るのである。
 私たちは誰もが自分の内面と深い関わりを持っている。命とは、肉体が露と消え去って終わるものではなく、実はもっとずっと深いものなのだ。
 考える力とは不思議なものだ。考えることで、私は境界も限界もないところに行ける。考えるというかたちのない世界では、どんなことでもできるのだ。
 あなたがもし、ダイナミックな仕事をし、エネルギーで自分をいっぱいにして、外見だけでなく心も大切にしているならば、私は既に素晴らしい人生を送っているあなたに、何も言うことはない。 
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2007年02月01日

今日の学び−51

見返りをまったく期待しないで人に与えるということ


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 これまで私は、自分の本をたくさん人にあげてきた。そして、私は人にものをあげることがどんな意味を持つかがじつによくわかった。人にたくさんあげればあげるほど、豊かな気持ちになり、富がころがりこんできたのだ。あげるのも、もらうのも、結局は同じことなのだ。私が贈り物をすると、必ずお返しがきた。人にあげているうちに、大きな変化が起きていることに気づいたのである。
 人にあげるということは、想像もしなかったところで私の人生を豊かにした。ある晩もの思いにふけっていたとき、私は人に与えるためにここにいて、人にあげるもののうちで、一番大切なのは愛なのだと気づいたのである。
 「無限の幕間」のなかでジョエル・ゴールドスミスは次のように書いている。
 自分自身のように隣人を愛するということは、見てくれがどうであれ、自分と同じ清らかな人格を、隣人も持っているのだと認めることである。隣人は、不義をおかした女性かもしれないし、十字架にかけられた盗人かもしれない。けれども、そんなことは私たちには関係ない。私たちに関係があるのは、本質を知ったうえで、すべての隣人を愛することなのである。それは、私たちの見かけがどうであれ、ほんとうの自分を知ってもらいたいと、私たちが思うのと同じことだ。

 まず手はじめに、痛みや悲しみや怒りでもがき苦しんでいる私たち自身をいとおしく思い、同情することだ。私たち、みんなの心には愛がある。だからこそ、私たちを苦しめる人さえも愛せるのだ。
 苦労したことへの見返りをまったく期待しないで人に与えることが、すばらしい人生にいたる最短コースである。矛盾しているようだが、あなたが見返りを期待しない限り、もっともっと多くのものを受けとるだろう。そして結局、あなたは与えることと受けとることは同じであることを発見するのである。
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2007年01月31日

今日に学び−50

人に与える人になること


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 これは私が学んだ一番大切な教えだ。もしあなたが率直にこの方法をマスターしたら、許すことこそ最高の生きかただとわかるだろう。どんなものも自分のものにはできない。ものにしがみつくと人生は貧しいものになる。だから、あなたができることといったら、めぐりめぐってやってきたものすべて人にあげることだ。
 自分や家族のために、夢中になってものを貯め込む人がいる。そして手に入れたものをほかにまわすことを忘れてしまう。ものを自分のものにしようと頑張りすぎると、他人とギスギスした人間関係をつくりあげることになる。
 「与える人」になることを第一の目的にすると、人を嫌ったり、相手に敵意を抱いたりできなくなることを心にとめておくこと、ものを貯め込もうとガツガツしないで。人のために手をさしのべると、無意識のうちに人を助ける気持ちが生まれてくる。皮肉なことに、ものを貯め込むのをやめて、人にあげようと思えば思うほど、かえってものが集まってくるのだ。
 心に思っていることは、だんだん大きくふくらんでいく。もっと儲けようとか、自分の地位をねらっている人をやっつけようとか考えていると、あなたはたえずあれこれ考えて、心配したり、人をだまそうと思ったりすることになる。人を見れば疑い、世間は薄情だと思いこんでしまう。いつもそういうふうに考えるから、その考えかたが、あなたの人生に広がっていくのだ。
 その結果あなたは、ますますだまされるのを恐れ、だまされないように身構えて、自分を護るために弁護士を雇い、敵をたくさんつくることになる。文字どおり、あなたは出会う人みんなと敵対関係に入る。そして、こうしたことは確実に、広い範囲に普及していくものだ。
 さて、今度はこれとは逆の生きかたをしてみよう。新しい発想をしよう。自分の分け前や取り分、経済的な事情などは、あなたの頭からはずしなさい。そして、そのかわりにあなたのうちにあるものを人に与えてみればよい。誰からも何かをもらおうと思わないなら、あなたはもう怖いものなしだ。人との調和をはかり、ものごとを気持ちよく受容し、それを人に与えていれば、人もあなたに対して同じことをしてくれるだろう。
 人がどんなに敵意を抱いても、あなたが相手にしないなら、敵も敵にならない。許さなくてもよい人間関係をつくる秘訣は、与えることである。これは絶対にうまくいく!だから、まず私の言うことを聞くことだ。
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2007年01月30日

今日の学び−49

人を許せるようになるための六つの考え方


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 毎日の生活のなかで人を許せるようになるために、あなたは次の六つの考えかたを自分のものにする必要がある。その関門を通り抜けたとき、あなたは無意識のうちに人を許せるようになるのだ。つまり、

□あなたがはんとうに自分らしい生きかたをしようと目覚め、人の生きかたを尊重するとき。
□あなたが争うためでなく、人との調和をはかるために頭を使うとき。
□あなたが世界を細かく区切ったりしないで、すべての人々と心をともにして生きるとき。
□夢は広がっていくものであることを知り、好きなことや素晴らしいと思うことに集中できるとわかったとき。
□どんなものにも執着しないで、自分らしい生きかたをするとき。
□すべてのものは関連を持ち、ひとつの統一のもとに動いているのだと知るとき。

 そうしたときに、あなたは無意識のうちに人を許せるようになるのである。あなたがこうした生きかたや考えかたをするようになり、他人にも同じ生きかたや考えかたを、認めるならば、あなたは無意識のうちに許したいと思うようになる。 
 バレエの天才、ヌレエフが何千時間か練習してやっとピルエットをこなせるように、あなたも無意識のうちに人を許せるようになる。天才がどのように奇跡的な演技をするのか、誰にもわからない。けれども練習を積み重ねると、直観的に演技ができるようになる。許すということは、ほんとうは、そういうものなのだ。もしあなたが今、人を無意識のうちに許せないのなら、もっともっと練習することだ。心から許せないといって落胆してはいけない。協調する気持ちで生きていけばよい。そうすれば、そのうち努力しないで人が許せるようになる。
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2007年01月29日

今日の学びー48

許すことは人間の一番優れた行為である


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 だから、そのような行動をやめさせるたったひとつの方法は、「ひとりよがりの行動」を「ありのままの自分を受け入れる」方向へと変えるてだすけをすることなのである。
 自分が孤独な存在だと思っていたら、他人に同情を抱くことなどできるはずがない。実際に、あなたは人類全体とかかわって生きているのだ。これに気づけば、同時に人を許せるようになる。だからこそ、宗教上の指導者は許すことを人生の指標だと説くのだ。人を憎む人は、自分の心のなかにある憎しみを行動に表していることを、宗教の指導者はわかっているのだ。
 許すことは人間の一番優れた行為である。許すことは、人間らしい生きかたを実践することだ。許すということは、絶対許せない局面で愛を示すことなのだ。
 わたしたちは自分が持っていないものを表すことはできない。だから、憎んだり意地悪したりするのは、私たち自身がそういうものを持っているからだ。愛で心がいっぱいの人が、他人を憎むことはないのだ。だからこそ、あなたがほんとうの自分に目覚めた生きかたをするようになったら、自然に人を許せるようになる。
 マーク・トゥエインはそれを美しく表現している。

      スミレを踏むと、スミレはかかとによい香りを残してくれる。
      許しとは、その香りのことなのである。
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2007年01月28日

今日の学びー47

憎悪地獄から身を救うバランス感覚


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかにある言葉

 昔ある人が何かのことであなたをひどい目に遭わせたとする。あなたは今でも気分を害し、怒っているとする。とうとうその怒りは憎しみになった。あなたはどこに行っても、その憎しみを決して忘れない。憎しみを自分の持ち物にしている。憎しみを抱いているのは、あなたであり、あなたイコール憎しみになっているのだ。憎しみとは、すべて自分の考え方から生まれたのだから、自分が憎しみから解放されることはない。あなたは、他人に自分の気持ちを傷つけられたばかりでなく、その後もずっと気持ちを他人に引っかきまわされたまま生きている。他の人たちがそれぞれ自分の道をしっかりん歩んでいるのに、あなたは憎しみの虜になって生きているのだ。
 人を非難するのは、本当につまらないことだ。人の卑劣な行動を非難すると、そのとたん、その人にコントロールされることになるし、他の人との関係においても、その人の思いどうりになってしまう。私たちは、自分自身に目覚めた生き方をすることも、幸せをつかむこともできない囚人になりさがってしまうのである。人を非難することが、どんなに人生を空しく駄目にしているかがよくわかるであろう。私たちは、人を非難している限り、現在の八方ふさがりの状態から抜け出せない。相手が変わってくれるのをただ待つしかないのだから。
 人を許すことは、非難して起こるマイナスを超越する手段なのだ。人をいったん許してみると、もう人を非難する気にはならない。そしてみんなを許そうとすると、非難する相手はいなくなってしまう。皮肉なことだが、そうなると、私たちはもう許す必要がないのだ。許すとは、あなたの間違った考えを変えるということなのだ。他人の行動をどう受け取るかによって、私たちは自分の人生をつくり出している。だから私たちが人を許す必要はまったくないのだ。人生のさまざまな苦労も、すべて考え方ひとつだ。
 私たちの夢を実現するには悪人も欠かすことのできないメンバーなのだ。それに私たちには、すべてを生み出した責任がある。こうゆふうに考えれば、どんなことが起こっても、私たちは誰のことも非難しない。これが一番自由な段階なのである。人を非難しないで、人生の責任をとろうとすると、大変な自制心がいる。それには自分を大切にすることだ。自分を大切な人間だと思えば、自分の感情を他人の意のままにされることなど決してありえない。だから他人を許すのは、他人の意のままにならないための手段なのである。
  もしあなたが怒ったり、非難したり、軽蔑したりすれば、一生「いやな人間」と「他人との断絶」につきまとわれることになる。私たちにはもちろんそんなことは起こらない、私は人の良いところを探し、自分ですべての責任を取っている。そういう生き方をすると、自分の夢が実現するという経験を何度もした。あなたも自分の信じていることが実現するのを経験することになるのだ。人を非難し憎むのは、あなたがそのように考えているからだ。あなたの目に映るのは、あなたの心に住むものなのである。 
  
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2007年01月27日

今日の学びー46

敵意を抱いた相手をも愛するということ


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 人生がうまくいかないからといって、人を非難すれば、怒りの炎に油を注ぐようなものだ。怒ることは世の中に対して健全な反応だといって、怒りを支持する人もいる。怒りが人間のさまざまな感情のひとつであるということなら、私だって同じ意見だ。怒ったことのない人などひとりもいないのだから。けれども、いつも激しい怒りを覚えたり、非難したり、復讐したり、批判していたら、それは問題である。子供に暴力を振るうなといっておきながら、自分の子供を殴ることに私は反対だし、怒りを行動に表すことが健康によいとはとても信じられない。自分の精神状態を保つために、人を非難することなど私には思いもよらないことだ。
 世の中の人がどんな態度をとろうとも、あなたは自分に優しい気持ちを抱き、自分をいとおしく思うようにしなさい。人に対して「あんなふうではいけない」などと思い込まないようにしなさい。そうではなく、人には人それぞれの生き方があり、あなた自身の考え方は、他の人の生き方とは関係ないのだとわきまえなさい。自分をひどいめにあわせた人を思いっきり愛しなさい。それから、自分のなかにまだ怒りや憎しみが残っているかどうかを調べてみなさい。もし、以前敵意を抱いていた相手を愛せるようになったら、あなたはもう怒る必要はないのだし、「仕返し」する必要もないのだ。
 あなたが協調することを学んだら、もう怒ったりしなくなる。人を非難するのをやめて、すべてに責任をとるようになれば腹は立たない。自分のなかから「怒り」という感情を完全になくしたら、もう復讐しようとして自分の人生を狂わすようなことはない。あなたをいじめた人たちの手に、あなたの人生をゆだねる気にはならないはずだ。
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2007年01月26日

今日の学び−45

真の敵はつねに自分自身のなかに棲む


ウエイン・w・ダイアーの著書のなかの言葉

 今の段階にわたしがたどりつけたのは、非難、復讐、批判という歪んだ気持ちを抱かなくなったからだと思う。あなたのなかに歪んだ気持ちが少しでもあれば、その気持ちに引っかかって人を許せなくなり、人間らしい自由な生き方ができなくなる。ところが非難、復讐、批判という感情に煩わされなくなると許すことはもう問題ではなくなる。ひどい目に遭わせた人を許せないと思うとき、私たちを不幸にした人を非難する気持ちそのものを考えてみる必要がある。
 「非難」とは激しい感情だから、自分でコントロールするのはなかなかやっかいだ。裁判沙汰が最近になって急に増えているのは、自分たちの人生の責任を自分でかぶろうとしない人が、たくさんいる証拠である。すべての責任を他人に押しつけようとすればするほど、人を許せなくなるのだ。
 人を非難する気持ちをなくしたいと思うのなら、あなたは自分自身に心の底から正直にならなくてはいけない。それには、まず、自分の人生の責任を、すべて自分がとるところから始めることだ。「私という人間は、今の今まで私が選んださまざまのことの結果から成り立っているのだ」と自分に言い聞かせなさい。あれこれ言い訳をしたり、自己弁護していては、自分の人生に責任はとれない。
 言い訳しないで、今までとはまったく別の角度から人生を見るとよい。あなたの身に降りかかる出来事は、すべてあなたのためになる教えであり、人生で出会う人は、皆あなたの師なのである。世の中には偶然などというものは何もない。子供の頃から現在に至るまで、人生はあなたのためになる大切な教えが詰まっている。
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2007年01月25日

今日の学び-44

すべての出来事は定まった流れの中にある


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかの言葉

 人生とは、わたしたちが自分で生み出し、自分で招きよせたさまざまなできごとから成り立っている。宇宙もまた、さまざまなことから成り立っているが、すべてのできごとは、私たちの思惑に関係なく起こるのである。けれども、ひとつひとつのできごとは正確に、しかも完全に起こっている。
 空に輝く星は、すべて正しい位置にある。ひらひらの雪でさえも、地面のきまった場所に正確に落ちる。毎日の気温はぴったり決まった温度になる。嵐、洪水、干ばつ、川や山の場所,惑星の軌道など、どれもが正確に定まっているのだ。
 宇宙は完全な姿で私たちの前にあらわれる。許さなければならないものはなにもない。とがめるものも非難する人もいないのだ。自分にふさわしい扱いを他人から受けていないと考えるのは、まったく馬鹿げている。すべては決まったとおりに動いているのだ。
 だから、たとえ私たちがどんなにそれは間違いだと思っても、不当だ、残酷だと考えても、辛く感じても、すべては世の中の動きの一コマにすぎない。ひどい扱いだと言って腹を立てるかわりに,私たちはその扱いを客観的に眺めるようにしなければならない。人に与えられた条件のなかで、自分たちの判断に従って行動している。だから、私たちが人を憎んだり非難したりするとしたら、それは、私たちがそういった感情を自分のうちに抱いているからだ。わたしたちはそういうつまらない感情とは縁を切るべきである。
 自分をひどい目にあわせた人がいると、もしあなたが思っているとしたら、それだけでもうあなたの人生は他人からコントロールされているのだ。人を許すということには、自分の考え違いに気づいたら軌道修正するということも含まれている。自分の考えがはっきりしたら、他人からどのような扱いを受けるのかを、自分がすべてに責任を持つようになる。あなたは努力の末、やっと「人を許す」という段階を卒業するのである。あなたは自分の間違った考えかたを直して、許すのは不満だと思う、歪んだ気持ちから縁を切るのだ。
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